ろうそくが高価だった戦国時代は、どんな照明道具で夜を過ごした?
前回の記事で、小田原で開催された北条五代祭りに行ったことを書きました。
北条や武田、織田など名だたる武将がいた戦国時代は、現代から約500年ほど遡ります。
その時代の、灯りを保つための道具を知っている人は、あまりいないかなと思い、戦国時代の照明道具の紹介と当時の照明の明るさを、再現してみようと思います。
戦国時代の灯り事情
今でこそ、ろうそくも品質がよく、明るさを安定的に保つことができますが
その昔、戦国時代など、電気がない時代は人々は、どうやって過ごしていたのでしょうか?
松明や、囲炉裏の火などを使って、灯るさを確保するのが一般的だったと思います。
ただ、夏は今よりは涼しいかもしれませんが熱いですし、ススも出て大変だったと思います。
1300年ごろに、すでにヨーロッパでキャンドルは製作されていましたが、原材料のベリーなどから、油を抽出するのは苦労が絶えない仕事だったため、ヨーロッパでも非常に高価なものでした。
ヨーロッパで、キャンドルを大量生産できるようになったのは、実は1800年代に入ってから。
日本だと、江戸時代から明治時代(1868〜)に変わった年代です。
キャンドルが日本に渡ってくる前までは、灯し油というものが主流でした。
お皿に、植物性油を注いだ中に、灯芯(とうしん)を浸し、使っていました。
そしてそれを、障子の紙を貼った行灯(あんどん)で周りを覆い、炎の光を反射させ、部屋を明るく照らしていました。
ただしこの照明も、江戸時代が主流で、戦国時代も使われていたとは思いますが、かなり数は少なかったと思います。
信長や秀吉、家康、彼等の側近は知っていたかもしれませんね。
大河ドラマなどの時代劇では、もちろんドラマなので
部屋にロウソクが1本でも、とても明るく見え、文を認めるシーンなどが想像できると思います。
実際にどれくらい明るいのか、やってみた!
さすがに、灯し油はないので、キャンドルを一つ灯しました。
そして白い紙で三角柱を作って、キャンドルを囲み、いざ実験!
先日映画館で頂いたグッズのアイアンマンで、顔が確認できるか!?やってみました。
ドドン!
それがこちら!
(アイアンマンは画面右方向に、顔を向かせております。)
正直、もうちょっと見えると思ってました!笑
カメラ越しですと、ほとんどアイアンマンの顔を認識するのは難しく、肉眼でも、顔がかろうじて認識できるぐらいでした。
やはり文をしたためるのは、かなり難しそうですね・・・
お天道様が姿を見せている間に書いた方が良さそう。
まとめ
- 大昔、戦国時代にキャンドルのように使われていた道具は灯し油という
- ヨーロッパでキャンドルが主流になったのは1800年代
- 行灯を使っても、手紙を書けるほどの明るさを確保するのは難しかった
次回は、キャンドル芯について掘り下げて書こうと思います!お楽しみに!